この記事は前のブログに載せようと2018年11月19日に書いたものです。
うつ状態との馴れ初め
新卒で入社した会社で、入社四年目でうつ状態になりました。
企画の仕事をしていて、得意先のババアに嫌われ何度もコテンパンにされました。
そして、担当から外されました。
当時チームを組んでいた営業の上司もちょっと変わっていて、担当外されたのに、私にやり取りをさせようとしてきます。
「えっ…私担当外されてますけど…」と言っても気にすることもなく、やらざるを得ないので、やり取りをしていました。
当然、「何で◯◯さん(私)が連絡してくるんですか?」と言われ、仕方がないので「新担当の人が手が離せない案件があるので代わりに…」と言っていました。
元々豆腐メンタルなので、このことと他の仕事での忙しさとで、常にソワソワしていました。
他の仕事では、中国で製品を作るのを依頼しても全然仕上げてこない。納期やスケジュールを伝えて、「この通りにやって」と伝えていても納期直前になって平気で「まだかかるよー」と言われる始末。
得意先からは催促されるし、板挟み。と言う状態の仕事が数個ありました。
症状が出てきた
手が震えたり、仕事中に記憶が一瞬無くなったり(さっき歩いた気がするけど、なんかしたっけ?みたいな)しました。家に帰っても仕事のことばかり考えてしまう。
毎日夜中に咳で目が覚めるし、すねから足の指まで痒くて仕方ないという、体にも異変が。
やらなくてはいけないことがあっても全然進まないし、得意先のババアに送るメールも、『これでいいかどうか』で何回も何回も読み直ししたり、とにかく仕事になりません。
これはちょっとおかしい。
誰かに話を聞いて欲しい。
そう思って、ネットで調べた心療内科に(勤務時間中ですが)飛び込みました。
はじめての心療内科
予約制じゃなかったので、受付してから結構待ちました。
心理テストみたいなのをして、検尿かをした記憶があります。
問診というかカウンセリング時には、あらかじめ症状を書いた紙を持参しました。
口下手なので、伝え忘れがあるといけないので。
それを先生に渡して、質問されたことに答えたり、ベッドに寝かされお腹を押されたりもしました。
その時に言われたのが「中度の鬱」。
また来るように言われて、病院を後にしました。
会社に戻ってから、信頼出来る先輩に「病院で中度の鬱だと言われたので、今以上に迷惑かけると思う」と伝えて、当時の課長にも伝えました。
私は得意先のババアからコテンパンにされる前から課の異動が出来ないかをその課長に伝えていましたが、人手不足を理由にもみ消されていました。
ですが、鬱気味なことを相談した時に「他の課に異動したら治る?」と言われ、「分からんし今はなんとも言えません」的なことを言った覚えがあります。
二度目の診察
何とか毎日を過ごし、再び病院に行く日になりました。
また勤務時間中ですが、行ってきました。
私のいた課は結構ゆるゆるで、歯医者や内科など、病院へは結構みんな頻繁に行っていました。
課長に相談したかを聞かれ、言われたことなどを伝えたところ、先生が突然キレました。
「そんなこと言う人がおるなんて信じられん。今すぐここに呼んで説明したい」
私は何も思っていなかったのですが、怒り案件だったようでした。
「診断書書くから出来たら課長よりも立場が上の人に渡して!」と言われました。
ちょうど年度が代わっており、課が統合されて、課長の上に部長がつくようになりました。
全く別のところから来た人で、まだ名前と顔が認識出来るかな?という仲でした。
診断書の提出
着任早々で申し訳ないですが的な感じで、「心療内科に通っていて、これをさっき渡すように言われました」と診断書を渡し、「内容読んでないやんな?」と言われ、はいと答えて仕事に戻りました。
まぁ、いつも通り仕事は進まなかったですが。
しばらくして、診断書を読み終えたかで部長がやってきて、「診断書に休職するように書いてあったから、明日こら仕事来たらいかんよ」と言われました。
えっ?と固まっていたら、「診断書には従わないかんから、どんなに仕事が溜まっとっても来たらいかん。今すぐ出来る限りで引き継ぎして」と言われました。
引き継ぎの書類を作りましたが、就業時間の1時間ぐらい前だったので、あまり引き継ぐことも出来ず。
でも、営業の人は私が抱えていた仕事を把握してるやんな?と部長が言ってくれ、就業時間になったら帰らされました。
これからしばらく休職生活が始まりました。
続く。