パートを辞めた話

仕事
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お久しぶりのブログです。

随分と前から発達障害の疑惑があり、転院したところ鬱であると言われました。

時短パートのくせに、帰ったら動けず何をするのも気合いがいりました。

色々あり、今通院している病院では院長がみてくださっており、院長はとても優しく理解に溢れていて「あなたは2〜3ヶ月仕事を休んだ方がいい」と言われていました。

でも、仕事できない私でも、いなかったら余計に迷惑がかかってしまうと何故か泣いてしまい、パートは続けながら通院していました。

今までは在宅勤務が割と気軽に出来ていたので午前中病院に行って、遅刻して家で在宅勤務をするということを多くしていました。

しかし、人員の減少により、毎日出勤しないと他の人に迷惑がかかる仕事が私に回ってきてここでストレス発生。

話は変わるけど、家から職場は割と離れていて、長くて車で50分ほどかかっていました。

ここ3年ほど週に一回ぐらい在宅勤務をしていて少しは楽だったのが、毎日通勤しないといけないというというストレスが湧いてきました。

そして、一番の問題が、人員の配置換えがあるということ。

今まで9年近く働いていたうちの8年ほどはずっと同じ人員のチームでやってきました。

それが課の配置換えのため、チームがバラバラになり、しかも今までとは違う仕事になることに。

これで私の心はポッキリ折れました。

今までの人たちは私が何かをしでかしても優しくフォローしてくれたり、イラッとするであろうことも表に出さず何もないように接してくれるとても優しい人たちでした。

課自体は同じだけど、この人たちと違うチームになってしまう…。

その時期が近まるほど体の不調は悪くなりました。

夜眠れない、寝てもすぐに何度も目が覚めて、結局4時ぐらいに朝の活動(子供のご飯や水筒などの準備)を始めていました。

処方された薬も眠くなる作用があって、日中眠くてたまらないので、昼休憩に寝たら寝過ごしたり、朝早く職場近くの駐車場で寝ていて寝過ごしてしまうこともありました。

朝も吐き気がするし、前進痒いし、夕方帰ってきても仕事のミスを反芻して暗い気持ちになったりと、苦しい日々が続いたので、もうこれは無理だと思い、上長に「お話があります」とチャットして話す機会を貰いました。

ミスばかりして庇ってくれた優しい上長がとても残念そうにしてくれて、申し訳なさに泣きそうになりました。

もし引き継ぎの人がなかなか見つからなかったら退社の日は伸ばしますとせめてもの恩返しとばかりに話すと「苦しい中、色々配慮してくれてありがとう」と言われまた泣きそうに。

人事に話すことと人員の確保を急ぐと約束してくれて、この話しは終わりました。

幸い、以前面接した人で時短希望の人がいたようで、私が時短パートだからフルタイムがいいと断った人がいたようで、その人が再度面接して入社してくれることになりました。

ただ、そのまますんなりと辞めることはできません。

引き継ぎ…。

私は以前辞めた仕事では休職を繰り返した後の退職だったし、残りは短期のバイトぐらいだったので、引き継ぎをどの程度しないといけないのか分からない。しかも通常業務をやりながら…。

早く帰りたい中、残業して引き継ぎ資料を作りました。許可を貰って休日に資料を作ったり。

できるだけ目で見てすぐに分かるように、画面スクショを取って、「ここをクリック」など◯や矢印などつけて、割と丁寧に作ったつもりでした。

新しい人はきっと、何をしているのか・何のためにしているのかも分からない状況だと思うので、質問もたくさんしてくれたけど、

仕事とは絶対にやってみないと分からないことだらけ。

私の業務は割と月にやるスケジュールが決まっていて、引き継ぎ期間にするには早いものばかりでした。

私がやる仕事は全て社員さんがチェックしてくれるので安心ですが、私の引き継ぎの甘さで社員さんに迷惑をかけるのではと不安でたまりません。

何とかなるのは分かっているけど、出来るだけ私がいないことで迷惑がかからないといいなぁ…いや、そもそもいたことが迷惑だったかもしれない…

今は有休消化中でまだ会社には在籍しています。

最終出勤日までは、月曜からゆっくりしよ〜っと!と軽く考えていたけど、実際はそうも思っていられないなぁと思いつつ、どこかのブログにも書いたけど、私は気持ちを文字にすると落ち着く方なので、この文書をしたためました。

なんの参考にもならないグダグダ文章で申し訳ないです。

終わり

追記

文字にして落ち着きを取り戻しつつあったのに、会社の人から連絡があり、ミスを犯したことが発覚しました。

どこまでもクズやなぁ…